嘉永6年の浦上そぼろ

嘉永六年(1853年)岡山の洋学者 箕作阮甫(みつくりげんぽ)が岡山から長崎まで勉強をしに行く道のりを記録した「西征紀行」という書物の中に「そぼろ烹」というものが出てきます。その一部分を引用します。

朝飯後、安川某といえる薬師、其の外某生といえる東道主人、三宝寺方丈の甥など来り唐蘭物を持ち来る。しばらくして浦上の屠戸豚肉三斤許りを持ち来る。晩間までは閑暇にて、此の地着以来初めて食料も梢調いたれば、斐三郎と一酌せんと云いしに、小使某といえるもの割烹に長ぜるよ申せしかば、長崎の烹法(にかた)にソボロ烹といえる肉汁を調理して進めぬ。其の法、鍋中に豚脂を先ず溶かし、後肉を下ろし、椎茸を細長に切り、豆芽の長さ三・四寸許りにも長じたるを多く入れ、蒟蒻を方形にて薄く切り、菘菜少しばかり加えて、薄醤油にて味つけしものなり。甚だ口に可なり。 


出典:箕作阮甫 [著] ほか『西征紀行 : 幕末の日露外交』,津山洋学資料館友の会,1991.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13198493 (参照 2024-04-18)

ちなみに、「烹(ほう)」と云うのは中国語で

「烹」ピンインpēng
1付属形態素 (食物を)煮る⇒兔死狗烹 tù sǐ gǒu pēng .
2付属形態素 (茶を)沸かす
3動詞 まず熱した油でさっと炒めしょうゆなどの調味料を加えて手早くかき混ぜる
<用例>
这个虾得 děi 烹几分钟。〔+目(数量)〕=このエビは数分間熱した油でさっと炒めねばならない.
烹对虾=車エビを(‘烹’の方法で)炒めたもの.

白水社 中国語辞典より

「烹(ほう)」という調理法自体が「浦上そぼろ」の調理法と近いですね。その事を踏まえて、箕作阮甫の記述を読んでみましょう。
まず、「浦上の屠戸豚肉三斤」この「浦上」は現代の浦上の事を指していると思われます。戦前までは浦上地域に豚の屠殺場などもあったようです。
また、別の文献では、イエズス会領であった時期にも浦上地域で豚の飼育などを行っていたという記述があります。こちらについては、また別の機会に書きたいと思います。

そして、具体的な調理法(レシピ)ですが順を追って書くと

  1. 鍋を熱する
  2. 熱した鍋に豚の脂を入れて、薄切りにした豚肉を入れて炒める
  3. 「細長く切ったシイタケ」「9〜12cmくらいのもやし」「四角く切ったコンニャク」「菘菜(青梗菜か唐人菜?)を少し」入れて一緒に炒める
  4. 醤油を入れて味を整えて完成

といった感じです。味付けは流石に醤油だけでは味気ないと思われるので実際はもう少し色々入っていたんではないかと思います。
さて、どうでしょう。この作り方の流れは、現代の「浦上そぼろ」の作り方にとても近いですね。

このように、1853年時点ではこれらの材料をこの作り方で作っているので、「浦上そぼろ」は、既に160年は食べ続けられていると言えるかと思います。